私たちの歩み

三井建物の歴史

<生い立ち>

私の祖父は昭和20年ごろより名古屋市中村区にて三井製菓という製菓工場を営んでおりました。
父をはじめたくさんの従業員を雇用して、今では全国区となった名古屋名物『しるこサンド』で有名な松永製菓さんとも
肩を並べるような大きな会社を経営していたと聞いております。
幼少期の私の記憶では祖父は曲がったことが大嫌い、とても厳格な性格で、ただただ怖い祖父の思い出しかありませんが、
仲間のため社員のためそして家族のためなら何もかえりみず自己犠牲の精神で全力で立ち向かっていく、そんな正義感の塊のような人だったようで、
『あの三井さんのお孫さんかね、おじいさんは優しくて立派な人だったよ』
『あなたのおじいさんのおかげで我が一家は今までやってこれたよ』
祖父が永眠して30年。生前祖父の周りにいた方々からこのような有難い言葉を頂戴するたびに、
当時の私が抱いていた頑固で難しい人という祖父への印象が日に日に尊敬の念に変わっていきました。

『人と人との絆こそが財産だよ、社会の役に立つような立派な人間になりなさい』
病床での祖父からの最後の言葉は私の人生の羅針盤となり、進むべき方向をいつも示してくれている気がします。

<はじまり>

西暦2000年の節目を翌年に迎えようとしていた頃、名古屋市中区栄3丁目の雑居ビルに10坪の小さな小さなエステティックサロン『スタジオヴィヴィアン』を開業しました。
当初私を含めスタッフ4名でスタートした本事業は 時代の潮流に乗れたおかげで、3年目には従業員50名を超えるまでに急成長しました。
業界未経験スタッフを積極的に採用し、独自の教育法により一流の美容スタッフに育てあげる。
平均年齢25歳の若さ溢れる会社は笑顔と活気に満ちていました。

<新たな出会い>

2011年3月11日 あの日、日本は大きく変わりました。
自然災害の恐ろしい光景、何もできない人間の無力さ、そして二次災害がもたらす悲惨な末路とその責任。。
危険を予測し対策を講じることで、救えた命はどれほどあったのだろうか?

『人の命より重いものは他にない』これも祖父の言葉のひとつでした。
人命を守りたい。悲しみを世界から減らしたい。社会に貢献するために何ができるだろうか?
震災とは無縁に思える華やかな美容業会にて、全速力で疾走していた当時の私でしたが、一旦立ち止まり深く考える日々が続きました。

そんな折、建物メンテナンス業に精通した高校時代の大親友からこの業界の必要性と将来性について熱く教えてもらいました。
そしてこのことが私の大きなターニングポイントになりました。
これまでの美容業に終止符を打ち、耐震診断及び建築基準法上の法定点検を主軸にした建物メンテナンス全般を行う会社に大転換させました。

東日本大震災を受け、「建築物の耐震改修の促進に関する法律」が制定されました。
これは旧耐震基準(昭和56年5月以前に工事着工)で大規模かつ不特定多数の人が利用する建物には耐震診断を義務化、必要に応じて耐震補強工事を促すという法律です。
当時、この新しい制度に対応できる業者が全国的に不足している状況下で、お客様に安心して
宿泊してもらいたいという企業コンプライアンスの徹底したホテル、旅館さまから多くの診断依頼を頂くようになりました。

また、私たちが日常頻繁に利用するスーパー、ショッピングセンターなどの量販店や商業施設においては新・旧耐震基準どちらであっても概ね年に1度、
建築基準法上の法定点検を受ける義務があります。これは「特定建築物の定期報告」と呼ばれている制度で、耐震診断同様に私たちの建物メンテナンス業務の主軸に成長いたしました。

建物メンテナンス部の安定化を経て、2015年には当初の計画どおり不動産業の免許を取得。不動産部を新設することになりました。
これまでお世話になった建物オーナーさま、事業オーナーさま、投資家さまからのご要望に直接お応えするべく名古屋、岐阜、三重の東海三県を中心に売買、売買仲介を行なうようになりました。

「建物メンテナンスが出来る不動産会社」
「不動産も仲介できる建物メンテナンス会社」
「元美容業の不動産会社」…等々。

多様に表現される会社、建物メンテナンスと不動産の関係性はまだ理解しやすいでしょうが美容業からの展開はちょっと独特かもしれませんね。
実はこの特殊な経歴こそが三井建物の強みになっているのです。

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